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自分×挑戦

手塚左官店
手塚雄二郎(入社3年)

技能五輪世界大会銅メダリストの素顔

雪が舞う朝、凍てつく寒さの中で表に立ち、出迎えてくれたのは左官職人の手塚雄二郎さんだ。
2009年技能五輪世界大会で見事銅メダルを獲得したメダリストである。
「寒い中、わざわざお越しいただきありがとうございます」
礼儀正しく落ち着いた立ち振る舞い。とても22歳とは思えぬしっかりとした青年の対応にずいぶん年上のこちらが恐縮してしまうほどであった。
世界大会メダリスト、左官職人、そして22歳の青年としての心の内を覗かせていただいた。


幼い頃から見つめてきた父の背中

技能五輪世界大会で競技中の手塚さん。世界各国から6人の精鋭が集まり技を競った

小さな頃から左官職人である父の背中を見つめてきた。
現場に連れていってもらい実際に仕事をする姿も間近で見てきた。
テキパキと作業を進めるその手は実に滑らかだった。そのあまりの手際の良さに「簡単そうだし、自分にもできるはず」と思ったという。
しかし、高校卒業後に通い始めた職業訓練校で、父親がいとも簡単そうにこなしていたことを実際にやってみると想像を遥かに超えた難しさに愕然とする。
この時初めて父親の偉大さを知った手塚さん。そこから職人としての日々がスタートした。

父親と同じ左官職人の道を歩むことは手塚さんにとって自然な流れだった。
いつからか自分は左官職人になるのだと思っていたのだという。
自然に、いつの間にかそう思う自分がいたそうだ。「なんとなく、なんですけどね」と照れ笑いを見せる手塚さん。
学校に通い始めて厳しさに直面してからも他の道を考えることは一度もなかったというから驚きである。
もしかしたら自身が考える以上に手塚さんの目には左官職人という職業が魅力あるものに映り、そして彼の中で夢として育っていたのかもしれない。


壁塗りを極めるために努力を重ねる

左官職人の必須道具である鏝(こて)。何十という種類を使い分けている

18歳で職人の世界に仲間入りし、まず直面したのは厳しい現実だった。
父親が簡単そうにやっていたことがまったくできない。教科書を読んでも、理屈を耳にしてもできるようになる訳ではない。練習を繰り返して体に感覚をたたき込むしかない。

左官職人の主な仕事は壁塗りだ。
材質、長さ、太さ、厚さの異なる鏝(こて)を使い分け、それらの鏝を自在に操りながら厚さを整え美しい壁に塗り上げていく。
また、材料に合わせる水の量を調節するのも左官の役割のひとつである。その分量を見極め、さらに適切な時間内で作業を行わなければ先に材料が硬化してしまう。短時間で見栄え良く仕上げること。これが左官職人に求められる基本の技術なのだ。

そしてこの最も重要な作業である壁塗りが同時に最も手強いものであることも忘れてはならない。
働き始めて数年が経過したが、幼少の頃から嫌というほど目にしてきた父親のレベルに達するには道のりは遠い。
今はまだ仕事に対するこだわりを語るほどの領域には達してはいないと自身を分析し「美しく、ムラのない完成度の高い壁を塗れるようになるために、日々努力を重ねているところです」と現状を見据える。


全国大会から世界の舞台へ

3つの異なるメダルは手塚さんの競技者としての歩みと成長そのもの

職業訓練校時代に初めて参加した技能五輪香川大会で敢闘賞を受賞。
左官職人の道が想像以上に険しいと知った直後であったが、この受賞には「正直、調子に乗りました」という。
しかし、その後現場に出てみて再び壁にぶち当たった。
受賞は確かに喜ばしいものであったが五輪で試されたのは職人として習得すべき技術の一部であり、左官職人を名乗るのがためらわれるほどの未熟さに気付いた。
さらに世界大会に出場した訓練校同期の女性の活躍ぶりが手塚さんにはひときわ眩しく輝いて見えた。
「次はもっとできる自分で挑もう、世界大会を目指そう」と、次の千葉大会に臨んだ。

そして全国大会2位の成績で世界大会への切符を手に入れ、訓練校に戻り7ヶ月間練習に励んだ。
そして迎えた世界への挑戦。手塚さんは見事銅メダルを獲得した。
この大舞台でさぞかし緊張したことだろうと当時の心境を尋ねると、不思議と日本代表という気負いやプレッシャーはなく、本番も平常心で臨むことができたという。
さらに周囲の温かい声援を力に変え、手塚さんは2009年9月に行われたカルガリーでの世界大会の場に立ち、世界3位という素晴らしい結果を残したのだ。


メダリストと左官職人との狭間で揺れる

競技は現場作業とは異なるが、完成度の高さが必要とされる点は同じ

銅メダル獲得の裏側には実は反省すべき点がいくつもあったという。
大会では計4日間、各日の評価点の合計で最終順位が決められたのだが、初日にいきなり大きなミスを犯してしまったそうだ。
「1日目の作業は自分の中では得意としている分野でした。でも時間配分を誤って作業を終わらせることができなかったんです。甘かったですね」と猛省する。
また、3、4日目の焼き石膏の置引きや壁塗りの作業も納得の行く出来映えではなかった。
一方上位2名の作品は手塚さんの目にも明らかに完成度が高く、力の差を見せつけられた。
それでも「あの時の自分の力は出し切りましたし、いい部分は評価してもらえた。それに他の国の方々と同じ場で競えたことを嬉しく思います」と、世界大会での経験を語ってくれた。

一方、メダルを獲得して生じた心の葛藤もあるという。
メダリストだから何でもできるだろうという周囲の目に、競技と現場は違うのだという言葉が今にも口から飛び出しそうになった。
「それは胸の内にしまっておこうと決めました。そんなことを言う前に、まずは自分がもっと実力を付けてメダリストの名に恥じぬ仕事ができるようになればいいのだと、今は考えています」
競技とお金をいただく仕事とは別次元のこと。現場に出たら職人としての責任を果たすことに集中したいと語る。その姿は堂々としていて、頼もしさすら感じられた。


親子で力を合わせ、いずれ父を超える職人に

「壁がムラなく仕上がった時は嬉しいですね」と、仕事のやりがいも語ってくれた

父親とともに切り盛りする左官店。仕事とプライベートが混在する毎日を手塚さんはどう過ごしているのだろうか。
「週に2日、中学高校とやっていたバレーボールで体を動かして気分転換をしています。仕事には体力も必要ですから一石二鳥です」と話す。
「仕事から完全に離れるのは難しいですね。ただ、仕事に対してはとても厳しいけれど親子だから甘えが許される面があるのは確かですから、どっちもどっちです」と無邪気に笑う。

「何事もやってみないとわかりません。興味があるのならやってみることです」と、これから社会に出ようとする中高生へのアドバイスをもらった。
そして、もし社会に出てから先輩や上司に怒られるようなことがあっても、ただ落ち込むのではなく理由や意図を考えてみてほしいとも。
「その言葉は自分の将来のために発してくれたものかもしれませんからね」と父親とのやり取りを思い出しながら手塚さんは付け加えた。

話が進む中で驚かされたのは手塚さんの自分を冷静かつ的確にとらえる客観的視点だった。
そんな手塚さんに10年後の自分を思い描いてもらうと、「基本の仕事をすべて一人で完璧にできるようになっていたいですね」との答え。
まだまだ若い、22歳。将来の活躍が楽しみである。


社名 手塚左官店
代表 代表取締役 手塚峰雄
設立 昭和58年
事業内容 左官・タイル・塗装・ブロック
従業員 4名
資本金 500万円
住所 〒398-0004 長野県大町市常盤3530-51
TEL 0261-23-4782
FAX 0261-23-4783
メールアドレス sakan.t@dhk.janis.or.jp