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堀部建具工藝
堀部 清一郎
小諸市街地を見渡せる傾斜地に、建具の匠・堀部さんのご自宅はある。
日本人ならば、だれもが懐かしさを感じるようなたたずまい。
丹精された花の庭を通り、玄関をくぐれば、その懐かしさはもっと強くなる。
自宅の中には存在感のある組子細工のテーブルや戸棚、全国技能競技大会でグランプリを受賞したコートラックも玄関に飾られ、日本ならではの穏やかな時間が流れる。
木の気配に囲まれて暮らし、自宅の隣にある仕事場で、息子さんと共に毎日木と向き合う。
ごく普通の家に生まれ育った木工好きの少年が、自分の「好きだから」という気持ちにひたすら正直に進んできた結果、今、日本を代表する名匠として、木の文化を支えている。
使い込まれた鉋も堀部さんの自作。その佇まいからも、道具は堀部さんの大切な相棒であることが伝わってくる
仕事場に立つ堀部さんの手の中に、黒光りした樫材のカンナが握られている。
「こうしてね、勾配を出して刃を入れてやるの。削る木の材質によって角度を変えるんだよ」
取材の間に右手に左手に持ちかえたり、ひっくり返したりしても、分厚い台は堀部さんの手のひらに吸いつくようだ。
40年以上前、それはまだ地元の木工会社に弟子入りしたばかりの若い堀部さんが、将来を見据えながら自分でつくったもの。
「私らの時代は、道具は全部手作りするもんだったから。最初に長く使えるものを作っていれば、一生付き合えるしね」
台を削り、調整し、少しずつ身を減らしつつ、カンナは信頼できる相棒として、毎日の作業の傍らにあったのだ。
聞けば、仕事場にあるゲンノウの柄も、平行線を引く毛引きもすべて、先輩の物を見ながら、自分が使いやすいように考えて自作したものだという。
最初に道具への感謝ありき。コンマ1の精度で削りの調整ができる機械を導入しても、匠の考えは変わらない。
昭和59年一級技能士全国技能競技大会(技能グランプリ)で第一位、労働大臣賞を受賞したコートラック
もともと職人一家の出ではない。
ごく普通の兼業農家に育ち、ただ「木工が好き」という理由で、当時まだ専科のあった上田技術専門校(前・県立上田職業訓練校)の木工科に進んだ。
「小さい頃から工作の時間が好きでね。中学3年のときに仲間と一緒に学芸会の舞台装置を作って、褒められたのは覚えてるなあ。講堂の舞台の端から端まで、こーんな、大きなのを、ね」
作るものの話になると、穏やかな顔が、いっそうニコニコとしてくる。それがたとえ住み込み修業時代の、月に2日しか休みがないような厳しい頃の話であったとしてもだ。「疲れたと思っても、大変と思ったことはなかったなあ…」となる。
その後、組子の技術を覚えるために単身、埼玉県浦和市の建具工芸研究所に入所。
「だって組子っていうのは、建具の中でも最高の技術なんですよ。だったら覚えたいじゃないですか」
きらきらと輝く表情。現代を代表する建具職人の内側には、きっとまだ工作好きの少年が住んでいる。
昭和59年には一級技能士全国技能競技大会(技能グランプリ)で第一位、労働大臣賞を受賞。課題で制作したコートラックは、今も自宅の玄関に置かれている。
自由課題の組子部分は、麻の葉に胡麻柄を組み合わせた繊細なもので、胡麻柄の一部は二重という複雑なデザインだ。
それについて尋ねると、「いやあ、最初は一重でいこうと思ってたんですよ。でも時間が余っちゃったから」。
ちなみに競技時間は12時間とあった。
長男の洋一さんと一緒に。現代建具については洋一さんに教わることもあるくらいだと嬉しそうに語ってくれた
純粋に「仕事が好き」と言い切る一方で、「建具」「組子」という文化を継承することについて、現実的に考える一面ももつ。
佐久高等職業訓練校の講師として、職人のタマゴたちと接する機会が多いせいもあろう。伝統技術の後継者不足が懸念される中で、なお公立の技術専門校のような学ぶ場がどんどん削られていることを憂う。
実際、長野県内でも木工科がある技術専門校は木曽に1校あるだけなのだ。
「確かに今、和建築が減って建具の仕事も少なくなっています。でも、いろいろな技術をきちんと覚えていれば、仕事は探せるはず」。
堀部さん自身、最初は組子専門で出発した「堀部建具工藝」を、この10年ほどで建具全般へと幅を広げながら進めてきた。
父親の仕事をずっと見て育った長男の洋一さんは、自分から希望して木曽の技術専門校、東京の木工会社へ進み、その後上田の木工会社で数年修行を重ねた後、今は共に仕事場に立つ。現場での打ち合わせや寸法取りは「私の方が教わるくらい」という頼もしい後継者だ。
自身の手にピタッと納まる仕事道具は若き日の堀部さん自作。この先、何年だって使えるよと語る口調に職人としての矜持を感じた
カンッと、ゲンノウでカンナの刃の裏を叩くと、手早く取り外し、作業台に並べる堀部さん。
こうした道具に縁のない身には、手品でも見ているような鮮やかさだ。
「機械はいいよ。組んだ時もピタッと精度が合う。我々の時代は何回カンナ屑出せば何ミリ削れてるか、なんて、勘の世界だったから。
でもね、基本は手作業からだと思うんですよ。手作業のやり方を知ってて機械を使うのと、知らないで使っているのとでは変わってくる。機械を調整するのも人間だからね」。
修業時代、夕飯の後の作業場で一心に、堅い樫の木からカンナ台を作り出していた堀部青年の姿が見えるようだ。
40年使い続けられた道具は、時間を経て、持ち主と同じように、しっかりとした存在感を漂わせる。
これから、さらに堀部さんの手になじみ、もしかしたら洋一さんの手に渡り、もっと若い世代へと引き継がれ…。いっそう高性能な機械が出る時代になっても、きっとこの仕事場で和の建具を作り続けていくのだろうと、そのことは確かに想像できた。
| 社名 | 堀部建具工芸 |
|---|---|
| 代表者 | 堀部 清一郎 | 事業内容 | 建具製作 |
| 従業員 | 2名(2011年現在) |
| 住所 | 〒384-0027 長野県小諸市六供1丁目10-23 |
| TEL | 0267-22-4087 |