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自分×世界

セイコーエプソン株式会社
栄光の金メダリスト

物語の始まり。
技能五輪国際大会時計部門の5大会連続金メダル

竹岡一男:1977年オランダ大会金メダル(現ウオッチ事業部ウオッチ生産部)
塩原研治:1979年アイルランド大会金メダル(現マイクロアーティスト工房)
中澤義房:1981年アメリカ大会金メダル(現マイクロアーティスト工房)
清沢英隆:1983年オーストリア大会金メダル <退社>
小松郁清:1985年日本大会金メダル(現ものづくり塾 研修推進グループ)


それは今から10年程前、当時のセイコーエプソン社長の腕時計が故障したことがきっかけだった。
この時修理を依頼された塩原さんは、一つの大きな不安を感じた。
社長から預かったこの少し特殊な時計をしっかりと修理できる技能者は社内に何人いるのだろうか、そしてその技能は若い世代に受け継がれているのだろうか。修理に取り掛かる一方、塩原さんはこの不安を直接社長に訴えたのだ。

クオーツの商品化以降、生産現場では自動化・分業化・海外シフトが急速に進み、日本国内では熟練技能者が育ちにくい環境が長く続いた。それは塩原さんが勤務するセイコーエプソンでも同様であったのだ。このまま放置すれば、今まで積み重ねられて伝えられて来た技能がいずれ途絶えてしまうことは目に見えていた。

こういった状況の中でセイコーエプソン時計部門の技能復活・継承の旗印を掲げ、社内を力強く牽引する役割を担ったのは、この時からさらに20年ほどさかのぼった1980年前後に技能五輪国際大会を経験し、時計部門にて輝かしい実績を残したメンバーだった。
2年に1回開催される技能五輪国際大会のうち、1977年(第23回大会)に新設された時計部門は“世界のSEIKO”の独壇場であった。第28回大会で中止となるまでの間、1度も王座を空け渡すことなく5大会連続の金メダルを日本に持ち帰ったのだ。そしてメダルといっしょに持ち帰った「ものづくりのスピリッツ」はここで大きな風を起こしたのである。


セイコーエプソンで甦った「技能五輪」のスピリッツ

上:2006年に発表され国内外でも大きく評価された機械式複雑腕時計の「クレドール ノード スプリングドライブ ソヌリ」/下:2002年に始まった「ものづくり塾」

「技能の継承」それは単に研修をすれば解決するというような生易しいものではない。世界トップレベルの時計開発・製造・修理の技能を次世代に伝えていくにはもっと積極的に技能を喚起していく仕組みが必要なのだ。こうしてセイコーエプソン内にマイクロアーティスト工房が立ち上げられた。
それ以来マイクロアーティスト工房は、現在考えられうる技能の粋を集めた世界最高峰のムーブメントを作り出しながら、かつ欧米の物真似ではなくそこに日本らしさを追求するという高いハードルを自ら設定し、それを乗り越え続けている。
1ミクロン(1000分の1ミリ)の精度で手作りされた部品。一つの部品を組み付けるだけでも組立仕様書の注意書きを確認しながら調整を繰り返し、完璧にするには長い時間と高い集中力を必要とする。そして、それらの構成部品はなんと600点を超えるのだ。「日本最高の技能者といえども、次の腕時計に取り掛かり同じ部品を組み付けるのは約半年後になる」という話も納得せざるをえない。常人の想像を絶する異次元の技能である。

このエキスパート集団の中で技能は高められ確実に継承されていった。さらに、この工房で培われた技能は高級腕時計製造の最前線である匠工房にもフィードバックされているのだ。
技能五輪そのものに技能が詰まっていたわけではない。実際のところ、たかだか二十歳そこそこの若者が技能五輪で発揮する技能は、そのジャンルでのほんのさわりだけに過ぎないという。しかし技能五輪によってその技能者の中に埋め込まれた「ものづくりに対するスピリッツ」はDNAとして本人の中にずっと生きつづけるだけではなく、様々な形で後進に伝えられていく。セイコーエプソンで2002年に始まった「ものづくり塾」もその一つである。

こうした一連の技能復活劇の中心的役割を担ってきた技能五輪国際大会金メダリスト四名に集まっていただき、当時を振り返っていただいた。


「虎の穴」には日曜日もなかった。

竹岡一男:現ウオッチ事業部ウオッチ生産部所属。1977年オランダ大会の時計修理部門にて日本人初の金メダルを獲得。セイコーエプソンによる技能五輪国際大会五連覇の先駆けとなった。機械式時計の長野県認定試験を制度化し、主任講師を務めている。2006年「現代の名工」を受章

司会:それでは皆さんから技能五輪の経験談などをお伺いしながら、3年後の長野技能五輪も視野に於いて座談会を進めてまいりましょう。
皆さんは入社してまず研修所に入られて技能五輪出場を目指したわけですが、最初からやる気満々だったわけでしょうか。

竹岡:私は就職先として公務員を考えていたくらいなので、この仕事を強く希望していたというわけではないんです。どうやら入社試験で手先の器用さが認められたようなんですね

塩原:私は周りに勧める人が何人もいてこの会社に入りましたが、私も技能五輪挑戦を希望したわけではありません。入社1週間ぐらいしたら突然諏訪(研修所)行きを命ぜられたんです。せっかく松本の会社に入ったのにどうして、と言う思いが強く、すごく不安でしたね。

中澤:その点は私も全く同じです。入社式の時点で研修所行きを言い渡されたんですよ。他の同期生はそれぞれの部門に分かれていくのに私だけバスに乗せられて会社から遠ざかっていくんです。自分の将来はこれからどうなっていくんだろうってね。

小松:私は入社前から技能五輪の事も知っていて最初から希望してましたね。ただ想像していたイメージと全然違ったので、一時はやめればよかったと後悔したこともあったんです。怖い先輩もたくさんいましたしね。入社当初はチャラチャラしていて、社会人になったらもっと遊べると考えていたんです。

中澤:言ってみれば虎の穴みたいな所だから。

司会:虎の穴!特殊部隊の養成所みたいって事ですね。

小松:本当にそうなんです。先輩たちはとにかく黙々とやってましたね。夜も遅くまで訓練してるし、土曜日曜もなかったですから、同期の皆が遊んでいるのに何でだろうって思いました。この研修所での経験がどれだけありがたいことだったか分かるのは少し後になってですね。


大会直前に社長の自宅へ行って宣言しました。
「必ず金メダルを取ります」

塩原研治:1979年アイルランド大会の時計修理部門にて金メダルを獲得。その後、新製品の総合推進役に長く従事し20機種以上の新製品立ち上げ量産化を成し遂げた。2000年よりマイクロアーティスト工房を設立。2006年、機械式複雑腕時計「クレドール ノード スプリングドライブ ソヌリ」を発売し世界的に評価される。2003年「現代の名工」受賞、2005年「黄綬褒章」受章

司会:国際大会五連続金メダル獲得ということもあって、プレッシャーもさぞ大きかったでしょう。

塩原:私は2回出場したんです。1度目は5位。メダルを取れなかった時の周りの反応で、いかに大変なステージに立たされていたのかが分かって泣きましたね。2度目に金を取れて本当によかった。

竹岡:当時は時代もそうだったんですよ。国や会社の期待を背負うみたいなね。リラックスして楽しんでベストを尽くせばそれでいい、というわけにはいかなかったんです。

塩原:2度目の挑戦の時は直前に社長の自宅まで行って金メダルを約束しました。追い込まないと力を発揮できないタチなので。だから金メダルを取れたときはうれしかったなあ。その嬉しさは言葉では表現できませんね。
ただ、訓練はそれぞれ自分のスタイルで取り組んでいました。確かに言えるのは、やらされ感はなかったです。挑戦の場を与えてもらえるのは素直にありがたいと思いましたね

中澤:私はどちらかというと「なるようになれ」と思うタイプなのでそこまで思い詰めなかったと思う。やってきた課程に対しては自信があったんです。とはいえ人間だからミスがある。それをどうやって克服するかですね。

小松:今は当時と比べるとすごく環境が整備されていますよ。本社の中に「ものづくり塾」があり、その中に技能五輪を目指すグループがいるわけですが、昔と違ってすごく注目されてますしやりがいもあると思います

竹岡:私は金メダルをとってから重圧がきた。他の人もそうだと思うけど、ずっと金メダリストとして見られるわけですよ。何事もキチッとしていなければならないし、下手な仕事は出来なくなりますよね。でもそれは自分にとっても会社にとってもいいことなんです。

小松:あと私は指導員として残ったので、訓練生にメダルを取らせなきゃという大きなプレッシャーが常にありましたね。


「やり方」を習っただけでは、習ったことにならない。

中澤義房:1981年アメリカ大会の時計修理部門にて金メダルを獲得。一貫して高級時計の組立調整部門に従事し、2005年よりマイクロアーティスト工房に所属。「クレドール ノード スプリングドライブ ソヌリ」の開発に取組み、組立調整師として国内外からの注目を集めている。2008年卓越技能者「現代の名工」受章。2009年ものづくり日本内閣総理大臣賞受賞

司会:ところで技能の本質ってなんでしょう?教えてさえもらえれば誰でも身に着くわけではありませんよね。

小松:技能を向上させるには繰り返し体で覚えるしかありませんね。

塩原:その通りです。それと何といっても技能は創意工夫の固まりということです。それが楽しみや、やりがいや、新しい技能へつながっていくことになるんです。
いろいろなタイプがあって竹岡さんのようにパッと感覚で出来てしまう人もいるし、私などは時間をかけてじっくり進めていくタイプ。指導する先生もこうじゃなければいけないとは言わなかった。
やり方を教えるだけでは教えたことにならないんです。逆に教わる側から言うと、やり方を習っただけではダメ。「こうやればいいよ」ではある程度のレベルまでしか行きません。そこに自分なりの創意工夫がどうしても必要なんです。それにはそのための環境も大切ですね。そういった意味で技能五輪はチャレンジして創意工夫を磨くための絶好のステージなんです。

中澤:2007年に静岡県で開かれた大会に行ったんですが、おばあちゃんから小さなお子さんまで観戦に来ていて、競技者や企業だけではなく社会全体にいろいろな影響を与えるんだなと思いました。塩原さんは家族で行かれたんですよね。

塩原:そうなんです。実際に見ると本当に感動するんです。あの時、洋菓子製造部門の競技を見た私の娘が感動してしまい「私も洋菓子の道に進む」と言い出しまして、今パティシエの学校に通っています。
長野で開催される技能五輪もいろんな方に見に来てほしい。こんなすごいことを二十歳そこそこの若者がやってるんだよ、というところを見てほしい。それに若い人たちが感動し、どんどん感化されてほしいです。


「日本」について深く考えること、そして語れるようになること。

小松郁清:1985年日本大会の時計修理部門にて金メダルを獲得。この年を最後に技能五輪国際大会にて時計修理部門が廃止されたため、最後の金メダリストとなる。主に教育研修部門に従事し、現在は2002年にセイコーエプソン内に設立された「ものづくり塾」で後進の指導にあたる

司会:確かにものづくりはかっこいいですよね。若い人たちに技能五輪で輝いているメダリストをぜひ見てほしいですね。残念ながら現在は製造業などには逆風の時代です。技能五輪の成績も日本は低下しているようです。

小松:技能五輪への参加が企業にとって直接的には収益に結びつかないため、短期的にはマイナスと捉えられてしまうことが要因の一つでしょうね。もっと長期的に見てほしいです。

竹岡:真っ先に「物」があるわけで、そうでなくては何事も始まらないわけです。つまり「ものづくり」です。そのために必要なスキルとか技能と呼んでいるのは、自分の思ったことが思ったとおりに出来ることですね。
ところが現代にはそういう機会が少ない。何事も自分で作るより代替で済ますことが出来る社会になっているんです。だから社会全体に技能が軽く見られる風潮が広がり、ものづくりに対する意識が希薄になってきていると感じています。料理も自分で作らなくなっているくらいですから。

塩原:技能は襷(たすき)ですよ。駅伝の襷。自分だけで作り出したなんて思ったら大間違いで、どんな技能にも長い歴史があって、技能が受け継がれてきて、その最後のところで自分が努力すれば少しだけ前に進めることが出来るに過ぎないんです。
それを知ることがとても大切です。先人に感謝することです。これからものづくりにたずさわる人、技能五輪に挑戦する人はこの点をぜひ大切に考えてほしいです。

中澤:現在は情報が簡単に手に入る時代ですよね。親も子供に必要以上のものを与えています。僕らの頃は欲しい物は手に入る順番があったのですが今は違う。だからこそ、自分以外の誰かのために頑張るという気持ちも持って欲しいです。
それと、小さな器の中で完結して欲しくないですね。今では海外に行くのは当たり前でしょう。そうしたら日本について深く考えて欲しい。日本とは何なのかを真剣に考え、語れるようになってほしいです。長野県についてもね。長野県って何なのか。

小松:どんな人でも世界一になれるチャンスなんてそうはありませんよね。技能五輪はその大きなチャンスの場です。そのために短期間ですが一つのことに極限まで集中してかかりますよね。こうやって一つの事に没頭して一所懸命できる時期は本当にかけがえのない宝物になると思います。たとえメダルが取れなくてもその体験はその後の人生に必ず活きてきます。

司会: 皆さんは時計修理部門において国際大会五連続金賞という日本にとってもセイコーエプソンにとっても大きな金字塔を打ち立てられたわけですが、これを単なる過去の思い出話とするのではなく当時の経験を余すことなく後進に伝えていこうとしておられます。
この活動が実り、日本が再び技術立国として脚光を浴びることが出来ることを期待いたしましょう。本日はどうもありがとうございました。


社名 セイコーエプソン株式会社
代表 碓井 稔
設立 1942年
事業内容 情報関連機器(プリンター、スキャナー等コンピューター周辺機器及びパソコン、液晶プロジェクター等映像機器)、電子デバイス(ディスプレイ、半導体、水晶デバイス)、精密機器(ウオッチ、眼鏡レンズ、FA)、その他の開発・製造・販売・サービス
従業員 連結78,376名/単体13,194名(2009年9月30日現在)
資本金 532億400万円
住所 〒392-8502 長野県諏訪市大和3-3-5
TEL 0266-52-3131
FAX 0266-53-4844
URL http://www.epson.jp/